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2004.01.04

■「ジェンダーフリー」について

*ジェンダーに敏感な学習を考える会(編著)『ジェンダーセンシティブからジェンダーフリーへ:ジェンダーに敏感な体験学習』すずさわ書店(発売)・2001年

昨年のかなり早い時期に読んだのですが、タイトルの意味するところも含めて全体の趣旨がよくわからず、「ジェンダーフリー」という言葉についてももう少し考えたいと思って、取り上げるのを保留していた本。

タイトルの意味がわからないというのは、〈「ジェンダーセンシティブ」(ジェンダーに敏感な)という概念を克服して「ジェンダーフリー」に進もう〉という趣旨のように受け取れたからです。それなのに副題は「ジェンダーに敏感な体験学習」。現実にも、たとえばgender-neutral(ジェンダー中立)やgender-blind(ジェンダー無視)が男性以外のジェンダーに不利に働くことは明らかなので、作られたジェンダーに敏感にならなければ問題は解決しないはず。そう感じたわけです。

タイトルの真意は、最後に収録された堀田碧「『3つのフリー』をめざして~ジェンダーのもつれをほどく」を読んで(全126ページ中121ページ目で)ようやくわかりました。べつに「ジェンダーセンシティブ」を否定しているわけではなく、〈ジェンダーに敏感になるだけでは不充分なので今度はジェンダーによる抑圧等から自由になろう〉という運動の発展の方向性を示したもののようです。こういう趣旨の共有はやっぱり最初にやったほうがいいのではないでしょうか。

堀田論文では、「ジェンダーセンシティブ」と「ジェンダーフリー」の概念整理も試みられています。それによると、「ジェンダーセンシティブ」とは、(1)この社会にはジェンダー(というもの)が「存在している」こと、(2)そのジェンダーは「偏っている(不平等である、差別がある)」こと、(3)そのジェンダーは「自然」ではなく「作られた」ものであることの3点に気づくこと。そして「ジェンダーフリー」とは、(1)ジェンダーの偏り/差別からの自由(ジェンダー・バイアス・フリー)、(2)ジェンダー抑圧からの自由(ジェンダー・オプレッション・フリー)、(3)ジェンダー分割からの自由(ジェンダー・ディビジョン・フリー)の3つの「フリー」を内包するものとして定義されています。

こう説明されるとある程度わかってきますが、それでもたとえば本書冒頭に出てくる「ジェンダーセンシティブとジェンダーフリーがゴチャゴチャになっていた」(深沢純子「ジェンダーセンシティブからジェンダーフリーへ」、5頁)という表現の意味はぜんぜんわかりません。本書では「もつれをほどく」という言葉が数か所で用いられていますが、その試みが充分に成功しているとは言えないと思われます。そしてその原因のひとつは、上記の3つの「フリー」をすべて「ジェンダーフリー」という一語に押しこめようとするところにあるのではないでしょうか。毛糸の帽子とマフラーとセーターはやっぱり別々に編んだほうが編みやすいし着やすいもので、「ジェンダーフリー」というスローガンはやはり再考したほうがよいと感じます。

もうひとつ気になっているのは、ひとりひとりのアイデンティティのなかでジェンダーをどのように位置づけるのかという問題です。「男らしさ・女らしさ」に縛られるということとは別に、自分が社会のなかでいずれかのジェンダーに属する(と見なされる/自ら決定する)ことをどのように受けとめればいいのかということについて、ジェンダーフリー教育のなかでは――トランスジェンダー等について取り上げるときを除いて――あまり考慮されていないのではないかという印象があります。こちらの認識不足かもしれませんが。アイデンティティの構成要素はジェンダーに限らずすべて「作られた」ものである以上、これも避けて通れないテーマではないかと思います。

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