■マイノリティの権利と国連
*反差別国際運動日本委員会(編)『マイノリティの権利とは:日本における多文化共生社会の実現にむけて』解放出版社(発売)・2004年
原稿料代わりにもらった本でまだちゃんと読んでいないのですが、パラパラ見ていると、岡本雅享さん(在日韓国人問題研究所)の次のような発言が目に飛びこんできました。
「ぼくはよく、国連を水戸黄門のように思ってはいけませんよ、と言ってきました。国連に何かを通報したとか、国連が何か言ったとか、それを新聞記事に載せるだけに意味を見出していたら、国連頼りと言われてもしかたないでしょう。……国連は道具とか箱であって、それがどう使えるかは、使う人間次第です。道具というのは、その機能を過大に評価しても、過小に評価しても、最大の効能を発揮できない。実態をありのまま正確にとらえ、できることと、できないことを見極める。……もちろん、既存の道具を最大限生かす一方で、道具自体をよりパワフルで使い勝手のいいものに、ユーザーである私たち自身が改良していくことも大切です」(92頁)
まったく同感です。子どもの権利運動の世界ではとくに国連幻想が強い面があり、ややもすると運動の主体性を欠いているのではないかと感じられることがありますので、こういう問題意識をもっと共有してほしいと思います。
| 固定リンク
この記事へのコメントは終了しました。


コメント
このサブサイトも拝見していてとても勉強になります。特にこの本というか、岡本さんに私が習ったことを思い出しましたが、少なくとも国連は何でもできるわけではないという限界を常に頭においておくべきだと思っています。
ただし、「国連は水戸黄門なのか」という問題は簡単に答えられないと思っています。日本のある弁護士さんは国連による勧告が水戸黄門の印籠に当たるかどうかについて、その通りだと答えたそうです。
思うに、国連による勧告は国際社会の代表としての人権専門家による見解だから各国政府が尊重してしかるべきものでもあるし、人権条約上の国家の義務は対世的義務(国際社会全体に対する義務)と呼ばれることもあります。こうしたことを一言で簡単に説明しようとするとき、国連の勧告は水戸黄門の印籠と変わらないと言う人もいるらしいという現状はあります。
私が人にこれを説明するときは、「水戸黄門の印籠には必ず従わなくてはいけないけど、国連の勧告そのものには強制力はないと言っていいから、その点は違う。国連の勧告に効果を持たせるには私たちがマスコミや国会や政府に説明して説得していかないといけない。」という指摘はします。
投稿: 本田倫太郎 | 2004.07.19 21:23