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2004.03.21

■自己決定権論=バックラッシュ?

ユニセフ公開セミナーで、ECPAT/ストップ子ども買春の会の宮本潤子氏は大要以下のような発言を行ないました。表現は少々異なっていたかもしれませんが。

(1)年齢には関係なく、搾取と虐待は根絶されなければならない。より弱い立場にある子どもの保護が緊急だということでとりくんできた。
(2)しかし、被害者が被害者と見られていないという問題がある。「自己決定」というトリッキーな概念が、子どもの場合ですら保護を妨げてきた。「虐待」の場合にはだれも自己決定は問題にしないのに、「商業的」という言葉がつくととたんに自己決定ということになってしまう。被害者がボロボロにならなければ、虐待や搾取ということにはならないのか。
(3)トラフィッキング(人身取引)の問題についても同様だ。トラフィッキングとスマグリング(移民を密入国させること)が区別されているのはおかしい。
(4)こういう自己決定論が、最近バックラッシュのように、加害者や搾取する側を利するような形で出てきている。どちら側の価値観に立つのかが重要だ。

追記(3月22日):宮本氏の発言は、(財)日本ユニセフ協会のウェブサイトに掲載された報告(児童買春等禁止法および児童福祉法の改正案に関するユニセフ公開セミナー)では少々ニュアンスや表現が異なる記録になっています。「トリッキー」とか「バックラッシュ」といった表現は記録されていませんし、トラフィッキングとスマグリングについて言及した部分も表現が変わっています。あるいはユニセフ協会の記録のほうが宮本氏の真意なのかもしれませんので、そちらもご参照ください。)

論理的に破綻しているという以上に、一見被害者の側に立っているように思えるものの、その実、被害者の保護をかえって妨げる議論です。

(1)の点はよいでしょう。確かに、搾取や虐待からの保護は年齢には関係なく提供されなければいけません。しかし注意しなければならないのは、何が「搾取」であり「虐待」であるかは年齢によって変わってくる場合があるということです。たとえば炭鉱労働など一定の有害業務を18歳未満の者にやらせることはたとえ本人の同意があっても「搾取」になりますが、成人が同意にもとづいて契約し、適正な報酬を得てそのような労働に従事する場合には必ずしも搾取になりません。

(2)は非常に不思議な議論です。第1に、性的搾取・虐待は性的自己決定権に対する侵害でもあります。したがって第2に、被害者を被害者と判断する重要な基準のひとつが自己決定の有無なのです。たとえ本人が性的関係に同意しても、それが真正な同意(自己決定)でなければ性的虐待と見なされます。だからこそ平野は、真正な同意(自己決定)の有無を判断するメルクマール(基準)のひとつである「性的同意年齢」の再検討を主張してきました(更新日記「性犯罪への処罰強化」参照)。「『虐待』の場合にはだれも自己決定は問題にしない」というのは明らかに間違っています。

(このあたりのことをちゃんと理解していない人はまだまだ多いらしく、横浜会議(第2回子供の商業的性的搾取に反対する世界会議)でも「性的同意年齢vs自己決定権」というワークショップの告知を目にして首をひねったことがあります。なぜこの2つを対立概念としてとらえるのでしょう。平野は見に行くことができませんでしたが、どんな議論が行なわれたのか知っているかたがいたら、いまさらながらですが教えてください。)

このように、自己決定の概念は、一見したところ「ボロボロ」になっていない被害者を被害者として認め、保護を提供するためにも不可欠なのです。むしろ、「ボロボロ」になったようには見えない「被害者」を無視してきたのは、このような自己決定論にアレルギーを示してきたかたがたのほうではないでしょうか。このことはたとえば、児童買春・児童ポルノ法改正に関する「要望書」のなかで、あたかも児童買春・児童ポルノの被害者はみんなPTSD(心的外傷後トラウマ障害)になるかのような要望しか出せなかったことにも見てとることができます(平野裕二「児童買春・児童ポルノ法の改正に向けた『要望書』への疑問と提案」2003年2月「7.被害者が必要なのはPTSDへの対処だけなのか」参照)。ECPATなどのキャンペーンでも、10代前半の子どもが外国人男性に「ボロボロ」にされた事例ばかりセンセーショナルに取り上げられることが多いという印象がありますが、いかがでしょうか。

必要なのは、どのような場合に子どもは真正な自己決定を行ないうると考えられるのか、それをきちんと考えていくことです。児童買春・児童ポルノ法は、たとえ被害者が「ボロボロ」にならなくても、金銭等がからむ場合には真正な同意(自己決定)があったとは認められないとして、これらの行為を禁止・処罰することにしました。いろいろ誤解があるようですが、18歳未満の未成年者の買春を禁止することには、宮台真司氏でさえ、それまでに自己決定能力の育成を図ることを条件としながらも、賛成しています(宮台真司ほか『〈性の自己決定〉原論』紀伊国屋書店・1996年)。「自己決定」がトリッキーな概念であることは確かですが、それを全否定するのではまさに「たらいのお湯といっしょに赤ん坊を流してしまう」ようなもの。トリッキーな概念に正面から向き合うことなしに問題は解決しません。

(3)の主張も不可解です。まずは、国連・国際組織犯罪防止条約のそれぞれの補足議定書の定義を見ておきましょう。

*トラフィッキング(人身取引)=「搾取の目的で、暴力若しくはその他の形態の強制力による脅迫若しくはこれらの行使、誘拐、詐欺、欺もう、権力の濫用若しくは弱い立場の悪用又は他人を支配下に置く者の同意を得る目的で行う金銭若しくは利益の授受の手段を用いて、人を採用し、運搬し、移送し、蔵匿し又は収受することをいう。搾取には、少なくとも、他人を売春させて搾取すること若しくはその他の形態の性的搾取、強制的な労働若しくは役務の提供、奴隷若しくはこれに類する行為、隷属又は臓器摘出を含める」
国際的な組織犯罪の防止に関する国際連合条約を補足する人、特に女性及び児童の取引を防止し、抑止し及び処罰するための議定書第3条(a)(外務省仮訳、PDFファイル)
(メインサイト「国際組織犯罪条約補足議定書における『トラフィッキング』の定義」の解説も参照)

*スマグリング(移民を密入国させること)=「金銭的利益その他の物質的な利益を直接又は間接に得るため、締約国の国民又は永住者でない者を当該締約国に不法入国させることをいう」(「不法入国」=「受入国への適法な入国のために必要な条件を遵守することなく境界を越えること」)
国際的な組織犯罪の防止に関する国際連合条約を補足する陸路、海路及び空路により移民を密入国させることの防止に関する議定書第3条(a)および(b)(外務省仮訳、PDFファイル)

2つの行為のとらえ方が本質的に異なることはすぐにおわかりいただけるのではないでしょうか。一言で言えば、トラフィッキングは「人権侵害」としてとらえられているのに対し、スマグリングは「出入国管理秩序およびその背景である国家主権の侵害」としてとらえられているのです。この2つを区別しないで、どうしろと言うのでしょうか。すべて不法入国として対応しろということになれば、人身売買被害者の権利保障は絶望的なまでにないがしろにされます。かといって、自らの意思でスマグラー(移民を密入国させる者)の援助を得た者まで人身売買被害者として扱うことは、人身売買被害者保護体制を機能不全に至らしめてしまうでしょう(とはいえ、不法入国者もいったん入国した以上は国際人権法の適用対象となり、人権を適正に保障する必要はあります)。トラフィッキングとスマグリングに重なりあう部分があることは確かですが、そこはていねいに腑分けして考えることが必要です。

(4)自己決定論がバックラッシュであるという議論がきわめて奇異なものであることは、もう多言を費やす必要はないでしょう。「どちら側に立つのか」という問いかけも、「自己決定論と子どもの保護論のどちらに立つのか」ということか、それとも「被害者側と加害者側のどちらに立つのか」ということなのか、よくわかりません。いずれにせよ、問いかけの前提となる問題認識がおかしいので、無意味で非生産的な問いかけです。

このように、自己決定論にていねいに向き合わずにそれをすべて否定するかのような主張、レベルの違う問題をなんでもいっしょくたに扱ってしまおうとする主張により、多くの深刻な問題の解決が妨げられてきました。このような姿勢こそが「バックラッシュ」であり、加害者や搾取する側を結果的に利していると平野は考えます。

トラフィッキングをめぐる議論の背景にもなっている、「セックスワーク」論をめぐる対立でも同様です。「買春はすべて暴力である」という主張は、セックスワークの現場で生じている本当の意味での(または狭義の)暴力に焦点化した議論と対応を困難にしてきました。また、江原由美子『自己決定権とジェンダー』(岩波書店・2002年)についてのコメントでも触れましたが、買売春を「サービス」の取引ではなく「モノとしての身体」の取引ととらえてその完全禁止を求める主張は、セックスワーカーに対して暴力や非人間的取扱いを加えたり、契約外のサービスを強要したりする加害者とまさに同じ発想に立っています。

宮本氏をはじめとするECPAT/ストップ子ども買春の会関係者の議論にいかにずさんなものが多いかは、たとえばグリーントライアングルの資料でも詳細に検討されています。子どもの商業的性的搾取の問題を政治課題に押し上げた功績は認めるにせよ(もちろんそのために他の重要課題が後景に押しやられるという副作用もありましたが)、本当に子どもの権利や人権を大事にしようと思っているNGOのみなさんは、そろそろちゃんと検討・議論したほうがよいのではないでしょうか。ちなみに平野は、かつて副代表まで務めた国際子ども権利センターが前述した「要望書」に賛同したのをきっかけに、センターと縁を切りました。まあ、メインサイトのURLをとってから2年以上すぎていきなりウェブサイトを立ち上げたのも「要望書」問題がきっかけだったので、そういう意味では「要望書」も子どもの権利のために少しは役立ったのかもしれません(笑)。

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