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2004.05.03

■尾崎豊を「卒業」して

4月25日は尾崎豊の13回忌でした。コンビニに行ったら『音楽誌が書かないJ-POP批評』(別冊宝島1009号)でも尾崎豊特集を組んでいましたし、ベスト版『13/71 THE BEST SELECTION』や2枚組のトリビュート・アルバム(『GREEN』『BLUE』)の売行きも好調のようです(いずれもソニーミュージックエンタテインメント)。カバー曲やトリビュート・アルバムの類は「カラオケボックスで歌ってれば?」と言いたくなるものがほとんどですが、それはさておき。

尾崎豊がデビューした1983年、平野は高校1年生でした。2歳年上の才能に見事にはまり、初めて自分のお金で買ったレコード(当時はちょうどCDへの移行期直前)が彼のデビューアルバム『十七歳の地図』でした。その後、『回帰線』と『壊れた扉から』(いずれも1985年発売)も買い、1986年1月1日に福岡国際センターで開かれたライブにも、平野としては珍しく足を運んだものです。いまでも、この3枚の収録曲をカラオケで歌わせれば、少なくとも子どもの権利運動の世界では平野の右に出る人はなかなかいないでしょう(笑)。

しかし、それ以降に出た3枚のアルバム(『街路樹』『誕生(BIRTH)』『放熱への証』)はけっきょく買わず、いまだにちゃんと聴いたことがありません。たぶん、サード・アルバム『壊れた扉から』で尾崎が袋小路に迷いこみつつあると感じたこと、高校を卒業して東京に出てきてひとり暮らしするようになったことなどを背景として、尾崎を「卒業」したのでしょう。

けっきょくのところ尾崎の歌は(少なくとも最初の3枚のアルバムの収録曲は)思春期男子の過敏・過剰な思いこみに立脚したものであり、ひとりひとりがそこから「卒業」するプロセスが必要なのだと思います。その意味で、彼が1992年に逝ってしまったことは残念でなりません。彼が生きていたとしても、おそらく平野が尾崎の新譜を手にすることはなかったと思いますが、「伝説」などにならず、「卒業」後の道筋を示し続けていてほしかったと思います。ザ・ブルーハーツザ・ハイロウズになり、それまでの多くのファンを戸惑わせたように、です。

それもあって、没後、子どもの権利運動の世界の一部で尾崎豊が妙にもてはやされるのにも違和感を覚えざるを得ませんでした。それも、いかにもわかりやすい「卒業」や「十五の夜」ばかり(歌詞はうたまっぷなどで見てください)。国連・子どもの権利委員会に「卒業」を届けよう! と言っている人たちもいました。尾崎の世界をあまりにも狭いところに閉じこめようとするこのような姿勢には苛立ちを覚えましたし、いまでも尾崎の歌にはまる子どもはいるにせよ、いくらなんでも20年近く前の歌にいまの子どもたちの心象風景を見ようとするのはあまりにも怠慢ではないかと思ったものです。

氣志團「One Night Carnival」では尾崎豊「十五の夜」の歌詞がパロディー的に引用されています(うたまっぷに掲載されている歌詞はプロモで流れていたライブバージョンのものとちょっと違うようですが)。週刊コミック誌『スピリッツ』(小学館)連載の漫画「高校アフロ田中」(のりつけ雅春)でも、やはり「十五の夜」の歌詞がパロディーで取り上げられていました。尾崎豊のポジションはそのぐらいでいいと思うのです。

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