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2004.06.25

■NGO・NPOと「自己責任」

6月23日付「最近読んだ本」で『月刊子ども論』7月号のNGO座談会のことを紹介しましたが、ヒューライツ大阪の機関誌『国際人権ひろば』55号に、「自己責任」論を考えるうえで参考になる文章が載っていました。

柏木宏氏(大阪市立大学大学院創造都市研究科教授)による「NGO・NPOの活動における『自己責任』と政府の責任」がそれ。氏によれば、予想されるリスクへの対応策は「回避」「修正」「移転」「維持」の4つに大別されます。「回避」は文字どおりリスクを避けること、「修正」はリスクを軽減するための措置をとること、「移転」は他人にリスクを代わってもらうこと、「維持」は意図的にリスクを負うことです。

イラクで人質にされた人々は「回避」、すなわちイラク行きの中止という対応策をとらなかったために非難されました。しかし、人質にされたという結果だけを見て、彼らが必要な「修正」策をとっていなかったと判断することはできません。また、大手メディアがイラクの実情をまがりなりにも報道できるのは、現地にいるフリージャーナリスト等にリスクを「移転」させているからです。こういうふうに分析すると、なかなかわかりやすくなるのではないでしょうか。

もうひとつ、柏木氏は公益・公共は政府の独占物ではないということも強調しています。当たり前のことだと思うのですが、「公」=「お上」という意識がいまだ根強く残る日本では、市民が主体的に行動することではなく、政府の定めた枠組みのなかで協力することだけが「公共への参画」と位置づけられがち。なにしろイラクへの自衛隊派遣を批判すれば「反日的分子」(柏村武昭参議院議員)ですから(更新日記「本音を吐露した『反日分子』発言」参照)。

英語のpublic(公)はpeople(人々)と語源を等しくするという説があります。「成人」を意味するラテン語が語源との説もあるので定かではありませんが、いずれにせよpublicが「大衆」(公衆)を意味するものであることは確か。日本語の「おおやけ」はもともと「大宅」で、天皇・朝廷・政府を指していた言葉だそうです。人々があってこその「公共」=publicであることを忘れてもらっては困ります。

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