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2004.06.07

■「代替的形態の教育」について

CRC勧告:定時制高校」についてヤマシタさんから次のようなコメントをいただきました。ありがとうございます。

「平野さんに質問ですが『代替的形態の教育を拡大すること』は、ドロップアウトした子ども達を公教育の範疇外にある『教育機関』に押し付けることにならないでしょうか。つまり平野さんの言葉を逆手にとれば、そうした子どもたちの教育を『ストリートチルドレン的教育』に後退させることになるのでは。/そしてまた、フリースクールのような代替的教育機関はたくさんあるのに、その推奨ではなく、なぜ定時制高校統廃合の再検討があげられたのかについてどうお考えでしょうか。聞かせてください」

大前提として、「代替的形態の教育」の拡大が公的責任の放棄を意味するものだとは平野は考えていません。競争的性質の緩和をはじめとして、現在のメインストリームである学校教育制度を改革し、いっそうインクルーシブな、多種多様な子どものニーズに応えられるものにしていくことは依然として必要です(障害児教育に関するパラ44、教育の目的に関する委員会の一般的意見1号も参照)。

また、代替的形態の教育の拡大は夜間定時制高校のように公教育制度の枠内でも行ないうるものですし、フリースクールのように公的機関以外の主体(たとえばNGO/NPO)が担い手となる場合でも、公的機関がその責任を放棄してよいわけではありません。このことは、委員会の一般的討議「サービス提供者としての民間セクターおよび子どもの権利の実施におけるその役割」の勧告でも強調されています。それが公的責任の放棄をともなう「押し付け」ないし「厄介払い」にならないようにするためにどうすればよいかについては、またいろいろな議論が必要ですが。

さらに、ストリートチルドレンに対して提供される(たとえば「路上学校」のような)代替的形態の教育が常に「後退」であるあるいは望ましくないとは、平野は考えていません。ストリートチルドレンの現実を踏まえ、そのニーズに対応しながら学習の機会を提供しうる、ひとつの有効な方法だと考えています。もちろん、これらの子どもたちに選択肢がそれしかない、言い換えればこれらの子どもたちが正規の公教育から制度的に排除されているようであれば問題ですが、それが子どもたちが生きていく力を学ぶのに役立ち、子どもたち自身がそのような教育を選択するのであれば、望ましくないものとして切り捨ててしまうのではなく、そのような機会の拡大、質の維持向上、正規の教育制度との連携などを図っていくべきだと思います。このことは、「路上学校」に限らず、フリースクール等についても同様です。

このような、正規の公教育制度とは異なる代替的教育ないしノンフォーマル(インフォーマル)教育の有効性については、国連子ども特別総会成果文書「子どもにふさわしい世界」でも次のような形で認知されました。

「教育サービスの質の高さ(提供者の適格性も含む)を確保する必要性を考慮にいれ、かつ、ノンフォーマル教育やオルタナティブなアプローチが有益な経験を提供することを認知しながら、フォーマル教育とノンフォーマル教育とのあいだの溝を埋める。加えて、2つの提供システムの相互補完性を発展させる」(パラ40-3)

同時に、ドロップアウトした子どもたちに適した「革新的プログラム」を政府・コミュニティ・NGOがともに発展させていくことの必要性も、次のような形で指摘されています。

「中退した子どもまたは学校および学習から排除されている子ども、とくに女子ならびに働く子ども、特別なニーズをもった子どもおよび障害をもった子どもをいっそう積極的に見つけ出し、かつこのような子どもが就学し、通学し、かつ成功裡に教育を修了する援助をするよう、学校とコミュニティに対して奨励するような革新的プログラムを促進する。そのさい、政府ならびに家庭、コミュニティおよび非政府組織が教育プロセスのパートナーとして関与するものとする。とりわけ就業を理由とする中退を防止および削減するため、特別な措置がとられるべきである」(パラ40-2)

委員会の勧告で用いられている「代替的形態の教育」という言葉も、このような国際的発展を踏まえて理解する必要があるでしょう。

最後に、「フリースクールのような代替的教育機関はたくさんあるのに、その推奨ではなく、……定時制高校統廃合の再検討があげられた」という点について。委員会の勧告(パラ50)では確かにフリースクール等に明示的に言及されてはいませんが、そのような代替的教育機関を完全に排除し、あくまでも正規の公教育制度の枠内で対応を進めなければならないという趣旨でもないと考えます。この点、「その推奨ではなく」という形でフリースクール等を排除しているように解釈するのは、やや誤解されているのではないでしょうか。

定時制高校統廃合の再検討が明示的に勧告されたのは、それが国際人権法の用語で言う「後退的措置」であると委員会が考えたためでしょう。すでに有益な機会を提供している定時制高校を閉鎖するには、よほどの正当性と充分な代替措置が必要です。たとえば社会権規約委員会の一般的意見13号(教育への権利)でも、次のように指摘されています。

「教育への権利および規約に掲げられた他の権利との関連でなんらかの後退的措置をとることについては、その許容性を認めない強い推定が存する。いかなる意図的な後退的措置がとられる場合にも、締約国には、そのような措置が、あらゆる代替策を最大限慎重に検討したのちに導入されたこと、および、規約に定める諸権利の全体を参照しかつ締約国が利用可能な最大限の資源を全面的に用いることを踏まえて完全に正当化されることを証明する責任がある」(パラ45)

東京都および全国で同様の対応をとっている自治体はこのような説明責任を果たしておらず、したがって政府には、条約の締約国として、子どもの学習権を保障するためになんらかの介入をする必要があると平野も考えています。

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コメント

お返事ありがとうございます。

> 大前提として、「代替的形態の教育」の拡大が公的責任の放棄を意味するものだとは平野は考えていません。


公的責任の範囲はまたそれだけで議論できそうですが、代替的教育への公的責任とは具体的には、法人認可や助成金支給ということになるのでしょうか。となると今構想中のコミュニティースクールや、教育特区などはその推奨ということになるのかなぁと思いますがいかがでしょう。

ひとつ心配なのは、夜間定時制高校の統廃合とそうした特別なニーズ教育がいま同時並行的に進んでいることです。代替的教育機関の推奨が、=定時制統廃合へと繋がる危険性というのはないのでしょうか。今の流れを見ると心配です。

ここで、やはりなぜ定時制であり代替的教育なのかということを問う必要があると思います。日本のほとんどの場合、ストリートチルドレンのように貧困からのドロップアウトではなく、硬直した学校文化への不適応が原因でドロップアウトしてしまいます。そう考えると「柔軟な教育」がそうした子どもの成長に必要なことであり、その意味で定時制と代替的教育は同じ次元にあると考えてよいと思います。であるならば、平野さんが前回指摘した訳のこと、

『従来の(競争主義的なそれ)とは異なる形態の教育』 と
『代替的形態の教育』 と違いと言うのはあまりないのでは?

むしろ『代替的形態の教育』が=〈通常の学校教育に代わる形態の教育〉とするならば、ドロップアウト対策としては逆に範囲が狭まってしまうのではないでしょうか。通常の学校でもそうした教育をやっていいわけですし。


今回平野さんのこだわる点があまりよく分かりませんでした。大学で勉強中なので私の読みが浅いのかもしれませんがご容赦ください。またお時間のあるときで構いませんので、ご意見を聞かせてください。

投稿: ヤマシタ | 2004.06.08 01:12

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