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2004.08.01

■「ゲーム脳の恐怖」の恐怖

*森昭雄(著)『ゲーム脳の恐怖』NHK出版(生活人新書)・2002年

著者を座談会に呼びたいというある編集者から相談を受け、思い留まらせるためにしかたなく(笑)読んでみました。「ゲーム脳」というのは、「テレビゲームをすることによって前頭前葉の働きが落ち、脳波のうちα(アルファ)波よりもβ(ベータ)波が低下する状態」のこと(森昭雄『ITに殺される子どもたち』講談社・2004年・23頁)。これは痴呆状態の人の脳と同じであり、「テレビゲームに熱中しすぎる子どもたちは、キレやすく、注意散漫で、創造性を養えないまま大人になってしま」ったり、「若年性痴呆状態」になったりする可能性が高いというのが本書の基本的な主張です(6頁)。

本書については、脳波の理解・とり方・提示法・解釈といった根幹部分が誤っている点(たとえば精神科医・斉藤環氏のインタビュー参照)をはじめ、さまざまな批判が出されてきました。bk1の書評でもボロクソに言われていますし、他の脳の専門家からはまったく相手にされていませんし、「と学会」第12回日本トンデモ本大賞でもみごと次点に輝いています(笑)。さまざまな検証記事についてはゲイムマンのwww.tv-game.comも参照してください。

脳波のことがよくわからなくても、多少なりとも科学について学んだ人なら本書の非科学性は一目瞭然のはず。そもそも、脳波データをとった時期やサンプルの数・属性すらほとんど明らかにされていません。「テレビゲームを全然経験したことがなく、ビデオやテレビもほとんどみない一八歳から二二歳の複数の大学生」(69頁)とか「多くの大学の学生」(72頁)とか、これが実験データの提示でしょうか。

被験者の特性がほとんど著者の主観的印象にもとづいて記述されていることも驚きです(以下、強調引用者)。「ノーマル脳人間タイプ」は、「私の印象として、この人は礼儀正しく、学業成績は普通より上位」の人(72頁)。「半ゲーム人間タイプ」は、「少しキレたり、自己ペースといった印象の人」が多く、「日常生活において集中性があまりよくなく、もの忘れも多いようです」(73頁)。

「ゲーム脳人間タイプ」の記述に至ってはさらにめちゃくちゃ。「このタイプにはキレる人が多いと思われます。ボーッとしていることが多く、集中力が低下しています。学業成績は普通以下の人が多い傾向です。もの忘れは非常に多い人たちです。時間感覚がなく、学校も休みがちになる傾向があります」(78頁)と書いていますが、具体的データはいっさいありません。別のところではこうも書いています。

主観かもしれませんが、表情が乏しく、身なりに気をつかわない人が多いようです。気がゆるんだ瞬間の表情は、痴呆者の表情と非常に酷似しています。ボーッとしているような印象です。ゲーム仲間で集まることが多いようですが、関わりあいは浅く、ひとりで内にこもる人が多いようです
 計測器がなくても、表情をみればある程度は見当がつけられると思います。幼い子どもでも、同様に無表情で、笑顔がなく、子どもらしくないな、という雰囲気になります。
 もうひとつは自分勝手であること。羞恥心がないこと。そういった人間らしさが乏しい印象の人は、ゲームの人間か、ゲーム脳人間になりかかっている危険があります」(100頁)

「主観かもしれませんが」って(笑)、これが主観であると断定的に自覚できないようなら科学者を名乗る資格はありません。ここでいう「人間らしさ」の定義もまったく不明です。この人はしきりに「人間らしさ」を問題にしているのですが、人間らしさが失われた例として挙げられているのは、「人目を気にせず電車内で化粧をしている人」や「公衆の面前で抱き合っているカップル」、ようするに「理性、道徳心、羞恥心」がなくて「こんなことをしたら周囲がどう思うだろうということを、考えられなくなってしまっている」人々(25頁)。道徳心や羞恥心は人によって、文化によって、時代によって異なるもので、人のことを心配する前に「こんな本を出したら周囲がどう思うだろう」ということを考えたほうがよろしいのでは。

まえがきでは、ゲームショーに登場したコスプレイヤーにもショックを受け、「この子たちの将来、そして日本の未来はどうなってしまうのだろうか」と心配していて笑わせてくれます(5頁)。コスプレも若者たちの立派な自己表現のひとつであり、ひとりでショックを受ける前に少し話でもきいてみてはどうなのでしょうか。

先ほどの「ゲーム脳人間」の記述にも象徴されていますが、著者は自分の勝手な思いこみで他人を決めつけるばかりで、被験者やゲームユーザーと人間的コミュニケーションをしようという姿勢がほとんど見られません。ある「ゲーム脳人間タイプ」の大学生について、「それでもテレビゲームを続けていれば、前頭前葉の機能が大きく低下し、人間らしさが失われていき、やがて彼は人間としての社会生活を営むことができなくなってしまうのではないか」とよけいな心配をするかと思えば(87頁)、スリラーハウス・タイプのRPGを「一人で深夜にやると、恐怖心にかられる」という(べつに珍しくない反応を示した)大学生については、「くり返しおこなっているとナイフで自分を防御しようと思うようになるかもしれません。さらにエスカレートすると、自分の身を守るために警官のピストルを奪おうとする行為に及んでしまうかもしれません」と妄想を全開させています(107-108頁)。ヤバイなあ、この人(笑)。

その他、飼っていたカブトムシが死んで「パパ、電池を交換すればいいよ」と言った子どもの例を引き合いに出し、「子どもの脳に異変が生じているのは現実なのです」と飛躍した結論を出す(7頁)など、論理破綻も満載。「理性的にものを考える、冷静になるという能力が世界中で低下してしまったら、その結果はどうなるのでしょうか」(28頁)と心配していますが、その言葉はそっくり著者およびこの本をもてはやしたマスコミにお返ししましょう。

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