■シェルター・女たちの危機
■シェルター・女たちの危機
*かながわ・オンナのスペース“みずら”(編)『シェルター・女たちの危機:人身売買からドメスティック・バイオレンスまで“みずら”の10年』明石書店・2002年
1990年に設置された“みずら”の設立経緯、運営方法、利用者の特徴などが実によくまとめられた本。「安心と安全の提供」、「自己決定へのサポート」および「自己決定した人を支えるサポート」(25頁)という透徹した理念にもとづく活動に、敬意を表します。
被害者の自己決定を尊重する必要性については犯罪被害者支援についての本で必ずと言っていいほど強調されていますが、本書でも、たとえばアメリカ「女性に対する暴力防止法」の運用マニュアルが支援の基本原則として「被害者中心主義アプローチ」の重要性を強調し、その重要な要素として「被害を受けた女性の尊厳と主体性の尊重」を挙げていることを紹介しています。「たとえ、支援する側の考え方と異なっていたとしても、女性は自ら選択する権利を有する。女性の主体的判断を尊重しなければならない」(54頁)のです。
戒能民江「DV防止法成立とその問題点」も、次のように述べています。
「被害を受けた女性の主体性を尊重しなければならない。被害を受けた女性は適切な情報や援助を得ることができれば、自ら判断する能力を本来持っている。せっかく逃げたのに、加害者のもとに何度も戻るといって女性が非難されるが、ほとんど何もないに等しい社会的対応の現状と女性の自立の困難や社会通念を考えたとき、だれがその女性を批判できるだろうか。女性にとって、安全確保のためにはそうすることが最善の道であるかもしれないのだ。また、すべての女性が夫や恋人への刑事罰を望んでいるとは限らない。とりあえず、身の安全だけを確保したいという選択の自由が認められるべきである。確実に安全を保障するための選択肢を広げることが重要なのである。女性の自己決定権を尊重しつつ、適切な介入の道を用意するシステムが保護命令である」(262頁)
子どもの場合には成人女性と同じレベルで自己決定権を論ずるわけにはいきませんが、その基本的な姿勢はやはり共有されなければなりません。「ともすればステレオタイプの『被害者像』を押しつけてしまいそうになるが、みずらの10年の記録は、思いこみから出発するのではなく、日々飛び込んでくる現実を、見つめ考えろと教えてくれている」(金田麗子「終わりに」・270頁)という指摘は、子どもの場合にも等しく重要です。
その他、DV法成立によってDV以外の「広い意味での社会的暴力」を受けた女性が保護・支援の枠組みからとりこぼされるのではないかという懸念(248~249頁)も重要だと感じました。大川昭博「外国人女性と社会保障・社会福祉制度の現況」(210~235頁)も細かくまとめられていて参考になります。
他方、シャーマン・L・バビオー(著)『女性への暴力―アメリカの文化人類学者がみた日本の家庭内暴力と人身売買女性への暴力:アメリカの文化人類学者がみた日本の家庭内暴力と人身売買』(明石書店・1996年)は「女性の家HELP」に住み込んだ研究者の博士論文ですが、なんだか修士論文か学部生のよくできた卒論を読んでいるかのような印象でした。せっかく参与観察の機会が与えられたのに、文献に頼りすぎており、HELPの活動もいまひとつ見えてこなければ問題の分析も中途半端になっています。もっとも、日本キリスト教婦人矯風会の活動の原点が禁酒運動にあり(70頁)、いまでも酒・タバコの害の防止が活動の柱のひとつであること(236頁)、1985年まで「純潔部」があったこと(その後「性・人権部」に改称、237頁)などは「へえ3」ぐらいの発見ではありました。
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