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2006.06.06

■逐条解説 児童の権利条約

*波多野里望(著)『逐条解説 児童の権利条約〔改訂版〕』有斐閣・2005年

旧版(1994年)の改訂版ですが、ひどい内容です。買うまでもあるまいと思って、たまたま図書館にあったのを借りて正解でした。いろいろ問題はありますが、ここでは(a)国際的動向を踏まえない恣意的な解釈と、(b)国連・子どもの権利委員会の総括所見(1998年2004年)への得手勝手なコメントという2つの視点に絞ってコメントしておきます。

(a)国際的動向を踏まえない恣意的な解釈

初版は、国連・子どもの権利委員会の諸見解がまだ積み上げられておらず、国際的にも子どもの権利に関わる進展が本格化し始めた段階に、各条についての法的解釈のたたき台を示すという点では意味があったかもしれません。また、各条の起草過程を日本語で簡便にまとめていたのもとりあえず便利ではありました(もっとも、条約法に関するウィーン条約32条によれば、起草過程はあくまで「解釈の補足的な手段」にすぎませんが)。

しかし、条約が採択されて十数年経っての出版であるにも関わらず、その後の国際的な進展にほとんど触れないというのはいかがなものでしょうか。初版まえがきで、著者は次のように述べています。

「特定の法令や措置が『本条約に違反する』とか『違反しない』と言っているのは、『その法令や措置の妥当性が、「児童の権利委員会」をはじめ、人権に関するもろもろの国際機関で討議された場合に、どのような結論が出るであろうか?』という仮の設問に対する、現時点における私の判断を示したものである」(本書vii頁)

しかし本書では、国連・子どもの権利委員会が日本に対して行なった2度の勧告について得手勝手なコメントがなされているのを除き(後述)、同委員会をはじめとする国連人権機構のその他の見解はまったくと言っていいほど参照されていません。子どもの権利委員会の一般的意見さえ、いっさい参照・引用されていないのです。国連人権機構の見解を法的にどのように位置づけるか、その内容をどう評価するかはともかく、せめてそれらを踏まえた議論を展開するべきではないでしょうか。

ひとつだけ例を挙げれば、著者は30条(マイノリティ等の権利)に関する解説のなかで、「本条の対象となるのは、『ある国の国民であって、……少数民族または原住民に属する児童』であるから、いわゆる『在日韓国・朝鮮人』は、本条の『少数民族』には該当しない」と述べています(219~220頁)。しかし30条には「ある国の国民であって」という限定はなく、このような理解がどこから導き出されるのか、根拠が示されていません。ほぼ同じ文言が用いられている自由権規約27条について、自由権規約委員会は、ここでいうマイノリティは「国民又は市民である必要がないばかりではなく、永住者である必要もない」との見解を明らかにしています(一般的意見23号、1994年、パラ5)。

関連の国際文書への言及も不十分です。22条(難民の子どもの権利)、33条(麻薬・向精神薬からの保護)、40条(少年司法)の解説で関連の国際文書の名前を挙げていますが、その内容にはとくに触れていません。とくに40条では「国際文書の関連する条項に留意しつつ」(2項)適正手続の保障を図ることが義務づけられているわけですから、前文でも触れられている北京規則(少年司法の運営のための国連最低基準規則)のほか、リャド・ガイドライン(少年非行の防止に関する国連指針)や自由を奪われた少年の保護に関する国連規則の内容を踏まえた議論が求められます(これらの文書について詳しくは、国連ウィーン事務所著/平野裕二訳『少年司法における子どもの権利:国際基準および模範的慣行へのガイド』現代人文社・2001年参照)。

32条(経済的搾取・有害労働からの保護)でも「他の国際文書の関連条項に留意」することが求められており、当然、ILO(国際労働機関)が採択し、日本も批准済みの2つの条約、すなわち就業の最低年齢に関する第138号条約最悪の形態の児童労働に関する第182号条約には最低限触れないわけにはいかないはずですが、まったく言及がありません。

同様に、34条(性的搾取からの保護)に関わる解説でも、第1回子どもの商業的搾取に反対する世界会議(1996年)で採択されたストックホルム宣言および行動アジェンダには触れずじまいです。かつて平野が「子どもの性的搾取と国際人権法」(法学セミナー1999年2月号)で述べたように、この2つの文書は、法的拘束力こそないとはいえ、性的搾取からの子どもの保護の分野では国際慣習法の一部を形成しているという評価さえ大げさではなく、当然触れておくべきでしょう。子どもの売買・子ども買春・子どもポルノグラフィーに関する選択議定書の解説で、「児童買春」について「(カイシュンという不自然な読み方がされる)」とよけいなカッコ書きをつけたあげく、「いわゆる『援助交際』を、客となる大人の立場から捉えるために発明された、日本語に特有の造語であり、英文では child prostitution(児童売春)となっている」、「同様に、第5節の『買春旅行』も、英文では、たんにsex tourismとなっている。/『売』か『買』かは、問題とされていない」(254~355頁)というトンチンカンな解説を加えているのも、こうした国際的動向に無知なことに起因すると思われます。

子どもの売買・子ども買春・子どもポルノグラフィーに関する選択議定書では養子縁組のあり方も問題とされていますが、3条1(a)(ii)にいう「養子縁組に関する適用可能な国際的な法的文書」について、このような文書は「複数あり、それらに共通の統一された解釈は存在しない。したがって、何が『不当に』に該当し、何が該当しないかが、かならずしも明確でないため、本条の具体的な適用にはかなりの混乱がともなうと予見される」(357頁)とも述べられています。しかし国際的動向をきちんとフォローしていれば、ここで主として念頭に置かれているのは「国際養子縁組における子どもの保護および協力に関するハーグ条約」(1993年)であることがすぐにわかるはず。「かなりの混乱がともなう」とは思えません。

2つの選択議定書について、「条約が、いわば『本体』であり、『議定書』が、それを補足・補強するための追加文書に過ぎないことは、今さら言うまでもあるまい」と述べたうえで、「もしアメリカが議定書に違反した場合、他の締約国は、条約の非締約国であるアメリカの国際責任を問うことができるのであろうか?/そういう事態を想定すると、児童の権利条約と本議定書との関係は、きわめて微妙な問題を残していると言わざるをえない」(374頁)としているのも不可解です。

「条約が、いわば『本体』であり、『議定書』が、それを補足・補強するための追加文書」であることは、一般論としては間違っていません。しかし条約と議定書はあくまで独立の国際文書であり、両者の関係のあり方は個別に決定されます。2つの選択議定書の起草過程でも、子どもの権利条約そのものの締約国となっていない国(主としてアメリカ)が選択議定書のみ批准・加入することを認めるかどうか、さんざん議論になりました。最終的に、「条約の締約国または署名国であるすべての国による署名」と、選択議定書署名国による批准または「すべての国による加入」を認めることが決定され(武力紛争議定書9条・性的搾取議定書13条)、アメリカによる批准の道が開かれたわけです。アメリカは、いずれの選択議定書についても2002年に署名・批准を行ないました(アメリカは子どもの権利条約本体についても「署名」だけは行なっています。署名・批准・加入等の用語、アメリカが条約を批准していない理由については「子どもの権利条約に関するFAQ」参照)。

その他、各国の立法動向についても、「諸外国においても、学校の正規の授業の中で、外国人児童に対しその出身国の言語や文化を教えるという制度は確立していないと考えられる」としてイギリス、オランダ、ドイツ、フランスの例を挙げる(214~215頁)のと、婚外子差別撤廃の最近の動向(ドイツとフランス)の例を挙げているぐらい(387頁)です。「日本との比較においてとくに注目するべきだと思われるもののみを指摘するにとどめる」(ii頁)とは言うものの、ちょっと少なすぎるのではないでしょうか。

以上のように、各条の解釈そのものについてはさておくとしても、解釈を行なうさいのアプローチに問題がありすぎます。そもそも、「主要文献」が日本語文献ばかりで外国語文献がゼロというのも、いかがなものでしょうか。ユニセフのImplementation Handbook for the Convention on the Rights of the Childでも見れば、国連・子どもの権利委員会の主たる見解はすぐに把握することができます。日本語でも、子どもの人権連ほか(編)『子どもの権利条約のこれから:国連・子どもの権利委員会(CRC)の勧告を活かす』(エイデル研究所・1999年)を見れば、1998年までの委員会の主だった見解については仔細にフォローすることが可能です。参考文献リストにあがっている永井憲一(編)『新解説 子どもの権利条約』(日本評論社・2000年)でも、国際的動向についてはある程度取り上げられているのですが。

(b)国連・子どもの権利委員会の総括所見への得手勝手なコメント

それ以上にひどいのが、日本に対する国連・子どもの権利委員会の勧告(1998年2004年)の取り上げ方です。一連の勧告は「玉石混交」と評価していますが、自分が賛成する項目は「玉」、そうでない項目は「石」と切り捨てているだけにすぎません(379~381頁、387~389頁)。「石」とされたものについてはいくつかコメントもついていますが、説得力のないものばかりです。

たとえば37条(c)(自由を奪われた子どもの取扱い)について、日本は、「自由を奪われたすべての児童は、成人とは分離されないことがその最善の利益であると認められない限り成人と分離される」という第2文の規定を留保しています。この点については委員会から重ねて留保の撤回を促されていますが、著者は、「条約では分離が保障されていない18・19歳の者をも成人から分離するのであるから、条約より以上に未成年者を手厚く保護しようとしているのに、それを条約のレベルまでわざわざ引き下げろというのは、理解に苦しむ」(379頁)と述べています。

しかし、条約の適用範囲はあくまで「18歳未満のすべての者」(1条)であり、「条約より以上に未成年者を手厚く保護しようとしている」かどうかはここでは関係ありません。問題は、日本が第2文全体について留保をしている、すなわち成人からの分離原則そのものを適用しないという姿勢を(少なくとも文言上は)表明しているという点にあります。ここで必要な対応は、『子どもの権利条約のこれから:国連・子どもの権利委員会(CRC)の勧告を活かす』でも指摘したように、政府が国連事務総長に対して通報(communication)を行ない、留保の適用範囲は子どもと18~19歳の者との間に限定されることを明確にするとともに、子どもと20歳以上の者との間には「成人からの分離原則」がなお適用されることを表明することにほかなりません。

独立した監視機関の設置を求めた勧告については、さらにひどいコメントが行なわれています。「委員会は、政府から独立した『人権委員会』の設置を望んでいるのであろうが、そのような機関は、政府(軍事政権・準軍事政権)によって国民の人権が積極的(=作為的)・組織的に侵害されるケースの多い国において必要とされるに過ぎない。/そのような『政府から独立している』と称される人権委員会が存在する国は、現在では、インドネシアやフィリピンなど、ほんのわずか」であり、したがって人権委員会は「現在の日本のような国においては、相対的に『必要性が低い』と考えられる」(379~380頁)のだそうです。

完全に事実に反しています。国内人権機関フォーラムデータベースを見ればわかるように、政府から独立した人権委員会その他の国内人権機関を設置した国は100か国以上にのぼっており、「ほんのわずか」どころか国際社会では多数派なのです。当然、オーストラリアやスウェーデンなど、「政府(軍事政権・準軍事政権)によって国民の人権が積極的(=作為的)・組織的に侵害されるケースの多い国」ではない国がほとんどです。各国の国内人権機関の動向については、日本語文献もいくつか出ています。

そもそも、国連総会が1993年に「人権の促進および保護のための国内機関」と題する決議を採択し、国連加盟国に対してこのような機関の設置または強化を奨励するとともに、国連人権委員会が採択したパリ原則(人権の促進および保護のための国内機関の地位に関する原則)を歓迎・支持したことをご存じないのでしょうか。国連拷問被害者のための自発的基金の理事も務めてこられたそうですが、そのわりには国連の動向について無知・無頓着にすぎるようです。

婚姻適齢の男女差(男18歳・女16歳)についてのコメントも同様です。このような男女差は「男女の生理的・肉体的成長の度合いに応じて定められた合理的なもの」であり、「委員会が、この差異によって、男女のどちらにどのような不利益が生じると懸念しているのか、理解に苦しむ」(380~381頁)のだそうです。低年齢での結婚が、早期の婚姻・出産にともなう健康上のリスク、学習権の剥奪など、とくに女子にとって不利益が多いことは国際的常識となっています。委員会による2回目の勧告でも婚姻適齢の男女差の是正は求められていますが、著者はあらためて次のようにコメントしています。

「女児の初潮が平均14歳、男児の精通が平均16歳であるという生理的な相違に依拠しており、根拠のない『差別』ではないのであるから、何故あえて統一する必要があるのか納得いかないし、アジア・アフリカの多くの国々では14~15歳で結婚する例が珍しくないことを考えると、16歳でなく18歳に統一するようにという勧告にも説得力があるとは思えない」(388頁)

もはや笑うしかありません。「女児の初潮が平均14歳、男児の精通が平均16歳」というのはいつの話でしょうか。あるいは、そもそもそういう時代があったのでしょうか。「アジア・アフリカの多くの国々では14~15歳で結婚する例が珍しくない」と述べていますが、それによって多くの女子の権利が侵害されてきたからこそ、たとえば女性差別撤廃委員会も婚姻適齢を18歳とするよう求めているのです(1994年の一般的勧告21号、パラ36、内閣府仮訳(PDF)参照)。

著者は、「〔委員会の〕最終見解は、けっして無条件に鵜呑みにせず、十分に吟味したうえで、各項目ごとに取捨選択し、それに従って対応しなければならない」(381頁)と述べています。「十分に吟味」することが必要なのは確かですが、著者のコメントが「十分な吟味」と言えるものでないことは言うまでもありません。また、必要なのは「各項目ごとに取捨選択」することではなく、それぞれの勧告について十分な説明責任を果たすこと、すなわち勧告にしたがわない場合はその理由を委員会および市民に対してきちんと明らかにすることです。著者の得手勝手なコメントは、そのための作業において何の役にも立ちません。

初版をそのまま売り続けることにしたほうが、まだましなのではないでしょうか。

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